人に向けて花を咲かせる桜

桜が皆から愛されるのは、

人の方を向いて

花を咲かせるからなんだよ。







で、おなじみのまるごです。









先日(というか先月)、
近所の小城公園に
花見に行った時の写真です。




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うちの愛犬との2ショット

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夕暮れの水面に映る逆さ桜

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「I♡OGI」
と書かれた燈籠。

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夜桜

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桜の元に人が集うのは、
桜が下向きに咲く花だから、
という説があります。






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確かに、
花見に来た人達に、
軽く会釈をしているようにも
見えない事もありません。



桜の蕾は、
太陽の方を向いて
上向きに付きます。

花が咲くにつれ、
段々下がってくるので、

花の重みで、下を向く

という表現が正確です。



一説には、
「種を落としやすい為」
とも言われています。



生物の進化は、
大体子孫繁栄を
目的にしています。


ある者は、
風に飛ばされやすいよう、
種子に綿を付け、
ある者は、
鳥に食べられて運んでもらえるよう、
甘い果実を付け、
またある者は、
虫を集めて花粉を運んでもらう為、
彼らの好む美しい色の花をつけます。


桜も、
繁殖の為に
下向きに花を咲かす
というのが、自然でしょう。






元々の理由は兎も角、
シートを広げて酒宴を催し、
ふと見上げると
自分の方を向いて
花が咲いている。



花が下向きに咲く事が、
桜が花見に最も好まれる
一因であるのは、
間違いないと思います。







花見に最も好まれる桜は、
ソメイヨシノです。




このソメイヨシノは、
種を付ける事は出来ますが、
その種から
ソメイヨシノが発芽する事は
ありません。





自力で子孫を残す事が
出来ない花なのです。





植物は、
色々な方法で花粉を受粉し、
種子を散布します。

風の力を借りたり、
動物の力を借りたり。




ソメイヨシノは、
本来自然淘汰される
運命にありました。

しかし、人間の手で
接ぎ木等をして増やし、
今では、桜の代名詞として、
花見などで親しまれるように
なったのです。






つまり、

人間がソメイヨシノの媒介生物

とも言えます。





そういう意味でも、
人間とソメイヨシノは、
強い共生関係にある
と言えます。







一方で桜は、


「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」


と言われるほど、
傷に弱い木です。

傷が入ると、
そこから菌が入って
腐食を起こします。



「桜の枝を折るな」

と言われるのは、
花見におけるマナー
という問題もありますが、
折った事で、
木が死んでしまう可能性も
あるのです。



景観を乱すとか、
そういった問題では無いのです。


老木ソメイヨシノが“外科手術” 気象台の標本木「早咲きの桜」 紀三井寺



人の手無しには
生きられない
ソメイヨシノ。





ある意味

「人工的・不自然」

な植物と
言えるかもしれません。













最近のエコブームも相まって、


人間の行いは、

自然と対極にあるもの



という風潮があります。



中世ルネッサンスの
ヒューマニズムや
キリスト教思想なども
元々影響しているかも知れません。



自然の中で人間は特別な存在









「人間が自然を破壊している」



という主張も、
結局の所、
人間が特別の存在、
という大前提から始まっています。








でも、
ソメイヨシノと人間の
共生関係を考えると、
人間の行動も、自然の中で
プログラミングされているのかな、
などと考えてしまいます。







人間も自然の一部なんですね。



考えたら、
ビーバーが
川を堰き止めて巣を作っても
自然破壊とは言いません。

或いは、
プレーリードッグが、
地面を穴だらけにしても、
自然の景観を乱す、
とは思いません。




人間が作り出す

高層ビルで彩られた摩天楼も、
コンクリートで固められた海岸線も

地球の生物が織り成す風景の一部、

と考えれば、
自然の風景と言えない事もありません。








ただ、
中世ヨーロッパの価値観が、
自然の対極として、
文明(人工物)を定義した
というだけの事。


人間は
神に選ばれた特別の存在。

何でも出来るし、
何でも作れる、
そういう無限の可能性がある。


そうやって、
文明は飛躍的に発展してきました。



その揺返しとして、
人間が自然を破壊する、
自然を大事にしよう、
という考えが出てきています。




「人間が地球を破壊する」

というのも

「地球の為」
「地球を守ろう」

というのも、

人間が特別の存在


という発想の元に
生まれてきています。





地球温暖化に対する議論も

結局は、

人間が住みやすい
地球環境をを維持したい


という目的ですよね。




ホッキョクグマがどうの、
とか、
温暖化で絶滅する生物がどうの、
とか、
如何にも
「地球の為」
という論調で議論されています。


しかし、
地球の為ならば、
人間が絶滅すればいい

というアンチテーゼに
答えられません。




地球からしてみたら、

気候変動があれば、
適応した種が繁栄して、
適応出来ない種が淘汰される


というだけの事です。


その中で、環境に適応した
新しい種も生まれるでしょう。




人間が適応できなければ、
滅ぶだけ。

地球に何の影響もありません。

生命誕生以来、
地球が織り成すストーリーの
一部に過ぎない出来事です。




環境を守ろう

という時の環境とは、

「人間が住みやすい環境」

です。




温暖化問題も、
その他の環境問題も、

「人間が淘汰されない為」

と言えば、分かりやすい話です。







地球の為なんていうから、
議論が紛糾するのです。



人間が地球において
優位なポジションを
維持し続ける為、
人間にとって
都合のいい自然環境を
保持しましょう。


これが、
地球温暖化問題の本質です。





人間のエゴイズムを抜きに
地球環境を議論すれば、
必ずその中に齟齬が生じます。




人間のせいで地球がダメになる。



たとえるならば、


「僕が吉野家に行かなくなったから
 吉野家の経営が悪化しちゃった」

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というようなものです。








人の為、
で良いじゃないですか。


人も自然の一部です。



文明も自然の一風景。




環境を守るのも、
他の生物が絶滅しないよう
努力するのも
最終的には人間の為です。






二酸化炭素排出削減の問題も、
人間が住み難くなってまで
行う問題では無いと思うのです。


地球の人口を減らせば、
二酸化炭素も減らせます。


建前ばかりでは、
議論がまとまるはずもありません。



建前を無くせば、
最優先されるべきは、
人間の住みやすさ。





エコ=エゴ



エゴイズムを隠して
エコロジーを主張しあうから、
却って、各国のエゴで
足並みが揃わないのです。




平均気温が上がっている。

二酸化炭素に温室効果がある。



それらの事象から出た
科学的仮説だけで
本当の所は、
まだ誰も分からない。

気温上昇が
二酸化炭素が原因なのか、
単なる気候変動なのか、
それすら、仮説のみで
証明は出来ていません。


まして、海面上昇など、
何が原因か分かっていないのが現状です。






これが地球温暖化の現実です。



学者が理論を展開し、
政治がそれで動いていますが、
その裏には、
それぞれのエゴがあります。






人間は、地球の環境を変える事は出来ます。

でも、地球を滅ぼすだけの力はありません。

精々自らを滅ぼすだけです。




そこまでの権限は
与えられていないので、
地球の中の下っ端として、
もう少し肩の力を抜いて
生きていきたいものです。





以上、現場からまるごがお伝えしました。




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